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私たちの死はどのように変貌していくのだろうか。それへの向き合い方はあるのだろうか

孤独死のリアル
(著:結城康博)
2014.09.16
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現在の日本では年間3万人以上になるという〈孤独死〉、この本は結城さんのケアマネジャーとしての実体験に裏打ちされた考究で、孤独死に直面している当事者(高齢者自身や民生委員等)の視点からこの孤独死問題に対して多面的にアプローチしたものです。

生命体の終焉はもちろん個別に訪れます。けれどその生命体の終焉がそのまま〈死〉ということにはならないのではないでしょうか。人間(もしくは社会性を持つ動物たち)の生が社会的なものであるならば。その死というものも社会的なものなのではないでしょうか。

結城さんは孤独死をこう定義しています。
「「自宅で誰にも看取られずに亡くなり、その死が数日後に発見され、自殺や犯罪性を除く痛い」という亡くなり方を「孤独死」と呼ぶことにする」
とはいっても孤独死という言葉に負のイメージのみを持ってはいけないとして、
「孤独死について、「寂しい」「切ない」「無縁社会」「天涯孤独」といった負のイメージを前提にしてしまうと、問題の本質や背景について、理解しにくくなる。そのようなイメージだけをいだかないほうがよいのではないか(略)「誰にも看取られない」ということが必ずしも「寂しい」ことではないことは、充分に認識しておくべきであろう。その人なりに親族や社会とつながっているケースもしばしばあるからだ」
と、その孤独死のありようを実態にそって問い直しています。

超高齢化社会日本で、では孤独死というものにどう向きあえばいいのでしょうか。
「その遺体が遅くとも死後2~3日以内で発見されるような社会にしていくこと(略)と筆者は考えている。もちろん、救える「命」を救うシステムづくりが最優先ではあるが」
と、きわめて現実的な立脚点にたって、さまざまな実例を紹介しています。自治体の取り組みであったり、また住民間から生まれたさまざまな工夫を凝らした「互助」のありようがそれです。
なぜ「互助」が重要なのか。それは、
「政府が目指す「自助」に基づく施策が続けば、単なる福祉予算の削減につながり、その代替を「互助」機能に託すだけである。(略)「自助」という言葉は、フレーズとして聞こえはよいが、単なる公的機関の停滞を意味することになりかねない」
というように「自助」というものでは取りこぼすことが多いからなのです。

結城さんは孤独死というものの背景にある私たちの家族のありようの変化についても実例(遺体の引き取りなどをふくめたものです)を引きながら、これからの私たちはどう孤独死という問題に向かうべきなのかをとても丁寧に教えてくれています。

その時、社会というものが多面的に見えてくるのではないでしょうか。行政に関わる、いわば〈大きな社会〉と「互助」に支えられた〈小さな社会〉というものがあるように思います。この〈小さな社会〉は決して〈大きな社会〉に飲み込まれるものではないと思います。

逆に
「はじめから(政府の言うところの)「自助」能力が低い人に、「自分で頑張ってください」と言っても、それは突き放しただけであり、政府の公的責務を回避したに過ぎない。「自助」能力が低下している人に対しては、「公助」を手厚くしながら、また、地域住民などによる「互助」機能をいかしながら、(本来の意味での)「自助」を育むことが、政府の役割ではないだろうか」
というように〈大きな社会〉が果たすべき役割を指摘してこの本を終えています。孤独死というものがはらむ問題は、〈個人と社会〉という観点からもさまざまな(個人によって異なる)問題があると思います。その問題の解決にもこの本は重要な役割を持つのではないか、そう思わせる、文字通り〈リアル〉を手放さない一冊だと思います。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

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